現実逃避の副産物

現実逃避の副産物

しょうもない言葉を丁寧にラッピングして送り出す場所

実家の猫との思い出

実家の猫が亡くなった、と連絡が来た。

▲ 某ジョインブログのアイキャッチを飾っている子

実家は単線の電車しか走っていない程度の田舎にあり、半分地域猫・半分家猫といった具合の半野良の猫だった。
亡くなった状況や亡くなる直前の話は少々しんどくなる内容だったので私の心の中だけに留めようと思うが、10年近い仲で色々と幸せで楽しい思い出をいっぱいもらってきた。
何度もスマートフォンを買い替えたのもありすぐに持ち出せた写真も少ないのだが、折角なので手持ちの写真と共に今までの思い出を書き留めておこうと思う。

出会い

10年とちょっと前まで遡る。大学生になって一年目のある冬の早朝、近所のゴミ捨て場に行った時に初めて出会った。

▲ 多分出会ってからそこまで経っていない頃

なぜかそのままうちまで着いてきたので、お腹が空いているのかな?とプラスチックパックにミルクを入れてあげたら綺麗に平らげた。

▲ 当時の写真を見つけた

そこから、この猫との付き合いが始まったのを覚えている。

初めのうちは数日に1回ふらっとやってきて、うちの庭(とも言えない狭い駐車場だったスペース)で日向ぼっこしていくのでお水をあげて身体を撫でさせてもらう程度の関係だった。

▲ のっしりとした体躯が良い

いつの間にかうちに猫の餌と水飲み場が用意され、玄関から寝室まで入ってくるようになり、早朝にうちの前にやってきてじっと扉が開くのを待ち一緒に布団で寝て、人間が起きる時間になると外に巡回に行くルーティーンが組まれるようになった。

▲ 玄関先に乗り込んでくるようになった猫

▲ 箱にみちみちツヤツヤ猫

真っ黒で艶のあるこの子は、うちでは「ニャマト」と呼ばれるようになった。
うちでは、というのはそもそも前述した通りこの子は半野良だからというのがある。
それとは別に、ニャマトがよその家の窓辺にいたと聞かされたことがあったり、「クロちゃん」と呼ばれていたのを聞いたという話を伝え聞いたりとよそでお世話になっているんだろうなと分かる話をいくつも聞いていた。
この艶もきっとどこかで誰かがブラッシングなりお風呂なりしてくれているんだろうね〜ありがたいね〜なんて呑気に言いながらうちの家族はニャマトを可愛がっていた。

ニャマトのよもやま話

猫と共に暮らした人はいくつもその猫の面白エピソードを持っているものだと思う。
そしてそれは身内だけの笑い話になるようなもので、その猫を知らない人が聞いても「ふーん」で終わるようなものが多い。と、私は思っている。
ニャマトを知らない人が聞いて面白いと感じるかは正直自信が無いが、私の中で思い出に残っていることをここに書き留めておく。

喧嘩弱いくせにやたらと喧嘩してくる

うちの周りで時々、ニャマトがよその野良猫と喧嘩しているのを何度か見たり聞いたりしたことがある。
そもそも、ニャマトは喧嘩が弱い。なので、大体逃げ込めるうちの周りで喧嘩をしては逃げ込んできていた。

▲ 鼻の頭を怪我したり

▲ 見えづらいが右耳がちょっと切れてしまっている

体格はまあまあ良いがビビりで、その癖ちょっかいを出すのだからこちらとしても「弱いんだから喧嘩してくるのやめーや」としか言いようがない。

▲ 長い猫。最近はしなかったらしいがよく押し入れに飛び込んで寝ていた

そんなことをしてうちに匿ってもらったりしていたのに、たまに外で会うと知らん顔をすることもあった。そしてしれっとまたうちにやってきては我が物顔で寛ぐのだ。
そんな半野良仕草もまた可愛くて仕方がなかった。何をしても猫はかわいいのだ。

写真写りが微妙になりがち

これはニャマトが、というよりは黒猫全般および人間側の写真スキルが低いという普遍的な問題だ。

▲ すごく可愛い寝姿だがまあ顔のパーツが見づらい

▲ 目を閉じた顔の可愛さを伝えるのは至難の業

▲ 歯がキュート!白い!かわいいね!

▲ 何?座布団?

ただ、こんな写真下手でも何十・何百枚と写真を撮っていれば時々奇跡的に麗しい写真も撮れる。
ニャマトと写真下手の人間たちの名誉のためにも、いくつか写りが良い写真を紹介しよう。

▲ 横顔が麗しい

▲ ボディがいい感じに写っている(強引)

▲ 人間の写りは最悪だがニャマトはパーフェクトスマイル

大体がふさふさの団子できつめの目になりがちなのだが、大当たりの写真はあるものだ。
相当な枚数の写真を撮ってしまうことは猫を飼っている人あるあるなので分かってもらえると思う。カメラロール一面が猫になったことのない人の方が少ないんじゃなかろうか。

よもやま話まとめ

一つ一つのエピソードを語っている時間はあまりない。私の昼休みが終わってしまうのもある。
なので、パッと思い出せる限りのニャマトの印象に残っている話をまとめようと思う。

  • 近所の外に置かれている水瓶を覗き込み、メダカを食べようと狙っていた
  • スズメを狙って木に飛びかかったものの失敗していた(のを見られて照れ隠しに転がっていた)
  • 鳩をくわえて誇らしげにうちにやってきた(ら母親は悲鳴をあげ、父親が結局鳩を丁重に埋葬した)
  • 水を用意しているのにわざわざ風呂場の排水溝の蓋に溜まった風呂水を飲む
  • 階段を上がる時にご機嫌だとにゃっにゃっと鳴きながら一段ずつ上がっていく
  • 猫用お布団を買ってあげたのに入ってくれなかった
  • 人間の布団に入る時、布団を持ち上げてやると入っていき中でUターンして顔の向きをわざわざ人間側に揃えてから寝る
  • 草の実を大量に身体につけてうちに来るので毎回一つずつこっちで取ってあげてから布団に入れていた
  • 黄砂の時期や雨の日にずかずかうちに入ろうとするととっ捕まえられ、タオルで拭かれるイベントがあった(若干嫌そうにしていた)

わざわざ言葉にするようなものでもないが、どれもニャマトとのかけがえのない思い出だ。

終わりに

私は今一人暮らしをしていて、二年前から猫を飼い始めた。
保護猫カフェで引き取ったこの子も、黒猫だ。どちらかというと白い毛も多くチャコールグレー気味なので、ちゃこと名付け共に暮らしている。
元々黒猫が大好きだったが、ニャマトと共に過ごしたことで私はもっと黒猫が大好きになった。
また、猫と暮らす幸せを数え切れないほどに教えてもらった。

必ず先に別れがやってくることも分かっていたし、何なら半野良気味のニャマトとの別れは気づいたらうちに来なくなって……といった感じのきっともっと素っ気ないものになると思っていた。
別れももっと早くに来てもおかしくなかったので、思いがけず幸せを多くもらってしまったようなものだ。
最終的にはうちがほぼ終の住処となったようだったが、ニャマトはうちを選んで幸せになってくれたのだろうか。
親から伝え聞いただけの終末の話を人間のエゴで捉えるなら、ニャマトはうちで幸せに暮らしてくれたのだろうと思えた。
本当のところはニャマトに聞かなければ分からないので、もう永遠に叶わないことだ。

▲ 黒猫枕で眠る黒猫

もらったものを返し切れたかは分からない。ニャマトの猫生の正解は何だったのかも分からない。
後悔もあるし、悲しみは途轍もなく大きい。人生の1/3を(物理的には離れながらも)一緒に過ごしてきたのだから。
でも、たまに帰省した時にはいつも私のことを忘れずに出迎えてくれた。その姿はどこか嬉しそうにも見えた。人間のエゴフィルター全開だが。
私は、ニャマトと出会えてとても幸せだった。ずっとずっと、ニャマトのことは忘れないだろう。

もうしばらくの間は思い出や写真を取り出して泣いてしまうが、悲しみよりももらった幸せがいっぱいあるのだ。きっとニャマトのことを楽しく話せる日が来るだろう。

クラスメソッド株式会社から旅立ちます

「クラスメソッドの他1名」になってから早三週間の他一名です。


▲ 輝かしいですね

さて、これがきっかけで名前を他一名にした私ですが、本日5/31をもちましてクラスメソッドを退職致しました。


3年弱勤めたクラスメソッド株式会社から旅立ちます

「旅立ちます」と書いているのは、何となく心が「退職します」になっていないからです。
何らかでやりたいことがまたクラスメソッドにあったら戻りたいなと思えるような会社でした。
今回は私がクラスメソッドから旅立つ経緯や、今後何をやっていくかについてお話し致します。

クラスメソッドでの約3年間について

私は、2018年7月にクラスメソッドに入社しました。
当時、未経験者歓迎SES企業からの転職だった私はエンジニア経験1年弱という状態での転職でした。
クラスメソッドは、そんな常駐SES人員の私にとってはまさに異世界のような環境でした。
充実の福利厚生、技術力が高くて人間としても学ばせてもらえることの多い同僚の人たち、様々な刺激のある案件……思わず「異世界転生した!」という旨のジョインブログを書いてしまったほどにクラスメソッドは輝いて見えていました。
毎日、少しでも技術を磨いて少しでも役に立てるようになりたいなと思い、とにかく前へ前へと突っ走っていました。

気付けば三年近くが経っていました。
書こうとすると一つ一つで記事が書けてしまいそうなほどイベントがあったのですが、またそういった話はコロナが落ち着いた後の酒の席などで聞いて頂ければと思います。

濃い同期と「times」文化

詳しくは酒の席で、と言ったのですがこれだけは触れておきたいなと思うことがありました。
それは、同月にジョインした「同期」の人たちとSlackの「times」文化についてです。
クラスメソッドでは毎月それなりの人数がジョインしてくる為、「同期」の概念が月単位で存在したりします。
私が入社した2018年7月は、「濃い!」と思えるメンバーが揃っていました。
それぞれがどこかしらの分野で活躍しており、「自分はこの中では本当に何も爪痕を残せてもいない」と焦りながらも有り難すぎる刺激をいっぱいもらってきてしまいました。
完全にもらいっぱなしになってしまったなという気持ちが大きいのですが、今後何らかの機会に自分が彼らに与えられるものができるようにこれから頑張っていくという目標ができた気がします。 これももらってしまったものの一つですね。

また、クラスメソッドはチャットツールがSlackになった初期から「times」文化がありました。
timesとは、分報チャンネルのことです。「times-hokaichimei」のように、自分の分報チャンネルを作る文化が根付いていました。
勿論、作るかどうかは自由でした。
私は、Twitterが好きな人間です。理由としては、自分の考えを文章に落とすことで考えを整理することが大好きだからということがあります。
その為、結構早い段階で自分のtimesを作り、脳に浮かんだ言葉を積極的にtimesにポストするようにしていました。
脳に浮かんだ言葉 とはその名の通りであって、作業内容のログ等以外のことも何でもポストしていました。
結果的に、私はそれをしてきて良かったという結論に達しました。
自分から人に絡みにいくことが苦手な私にとっては、timesはとても優れたコミュニケーションの場所となりました。
timesを覗きにきてくれる人というのは、少なからず自分に興味を持ってくれている人です。
脳に浮かんだことをポストしていくと、その人が話したい!と思う話題が出てきて、それがきっかけでそれ以外の話もするようになる……いわば 撒き餌 のような形でコミュニケーションを取ることができたからです。
お陰で、自分の部署以外の人とも様々な会話をすることができ、いつの間にか一社員同士の付き合い以上の関係が築けました。
会社で出会う人とそこまで深く付き合う必要もないし付き合いたいともあまり考えなかった私ですが、少なくともtimesで仲良くなれたことは無駄だとは全く思っていないし、それこそ今後またクラスメソッドと関わることがあった時にも心の障壁少なめに向き合うことができそうだなと考えています。
なんかよく分からないワークフローが作られたり、自分がいないところで会話が盛り上がっていたり、終わらない引越しの荷造りを実況したり と色々ありましたが、お陰で色々な社員の方々と今後も仲良くしていけそうな関係になれたのは大きな収穫の一つです。

なんで旅立つのか

色々な理由はあるのですが、一番大きいのは「タイミング」でした。
様々な案件をこなしていたのですが、「一つのプロダクトの面倒を見ていきたい」と思うようになってきました。
クラスメソッドのソリューションアーキテクトという立場だと、お客様のお手伝いはできますが一つのプロダクトをゆりかごから墓場までお世話するようなことをやるのが難しかったのです。 そんな中、気になっていた業界の企業さんに偶然AWSエンジニアとしてのポジションがあり、お話を伺える機会がありました。
「このプロダクトに関わっていけるのは今しかない」、そう思い私は面接に進みたい旨を伝えました。そして、その企業のプロダクトに関わらせて頂くことになりました。
その募集に出会わなかったら、私は「何らかのプロダクトにがっつりコミットしてみたいなぁ」と思いながら今も仕事を続けていたと思います。
「タイミング」ってあるんだなぁと思った出来事でした。
勿論、AWSの学習や様々な案件の経験を積めるという観点ではクラスメソッドの環境はすごく良いものだと今でも思っています。
自分は現状のAWS資格はこの間コンプリートしたものの、実戦経験はまだ乏しく、正直旅立つ勇気がまだ不足しています。もっともっとクラスメソッドで学びたいという未練はないといったら嘘になります。
でも、折角掴んだやりたいことへのチャンスはそれ以上に無駄にしたくないという気持ちがあります。
なので、今回はクラスメソッドから旅立つ、という選択をしました。

それ以外の思うところなどの話は、これまたコロナが落ち着いたら酒の席でしたいなと思っています。 みんなのお誘い、待ってるぜ! ピルスナーかホワイトエール飲みたい。

これから何をするのか

次は、 株式会社トレッタキャッツで猫ちゃんIoTトイレのAWS周りを見ていくエンジニアをする予定です。

またどこかでブログにしたいと思いますが、 猫と暮らし始めました


▲ 保護猫の「ちゃこ」ちゃんです

次は、猫に絡み絡まれながら(?)技術を磨いて、プロダクトを支えていけるエンジニアになりたいなと思っております。

さいごに

今後も、どこかしらでお目にかかれるように頑張っていくので、お目にかかった際にはどうぞよろしくお願い致します。
引越し祝い・転職祝いはいつでもWelcomeです!

高校受験の試験問題が「私の言語観」を形成するきっかけになった話

ある日、いつものように仕事をしていた。「〜になります」と書こうとして、ふと手が止まった。
暫し逡巡して、「〜でございます」に書き直した。

夜、大量の癖毛に無心でドライヤーの熱風を当てながらそのことを思い出した。「自分は言葉に関して、かなり使い方を意識しているなぁ」と。一体いつからそうだったのだろうか、と。
現在の職業はエンジニアで、技術ブログの執筆をする機会がある。しかし、それより昔から言葉に対しては結構慎重になっていた気がする。
学生で、論文を書いていた頃から?いや、それよりもっと昔だ。そして、遂にその大元を思い出すことができた。
それは、私が高校受験で巡り合ったある試験問題であった。


こんにちは、 宇宙ネコ 改め 他一名 です。
改名した理由は 特にありません 。気まぐれです。きっかけは以下のツイートです。

  

読みはどうしようかなと思い、エセ中国語風に「他 一名(タ イーミン)」とかどうだろうと考えていたのでちょっとGoogle先生に聞いてみました。


▲ 想定と全然違うものが出てきた

どうやら「另一+名詞」で「(名詞とは)別の〜」と言った意味を持つらしく、「个人」は個人(「集団」と対義語をとる言葉)らしいのでちょっとだけニュアンスがずれてしまった?ある個人とは別の人を指しているのか?と混乱してきたのでこの話はこれくらいにしようと思います。呼び方は自由に呼んで頂ければ幸いです。
中国語に造詣が深い方がいらっしゃったら教えて下さい。(社内の中国関連チャンネルに投げたら教えてもらえそうな気もしてきました)

という訳でしれっと改名致しましたが、今後も特に変わることなくブログをやっていこうと思っていますのでどうぞよろしくお願い致します。

言葉に繊細な自分がいる

とりあえず、一旦以下のツイートを見て頂きましょう。

私はかなり、言葉に関しては「繊細」です。つまるところ、「言葉超気にしい」と言った感じでしょうか。
謝罪の言葉を打つたびに一打一打が杭のように掌に食い込み、それから数日間は自分の脳内で反省会が朝会の如く開催され続けます。 ブログとか向いてなさそう?正解です
かつて技術ブログでさえ、書くのが怖くなった時期がありました。
そんな私の「気にしい」が爆発するのは、「言葉の誤用」です。
技術ブログや仕事でのやり取りでは、当たり前ですが言っている内容が齟齬なく伝わりかつ間違ったことを言っていないことが前提となります。
もしかするとそこ以上に気になってしまうもの、それが「言葉の誤用」です。
「この時にこの表現は適しているか?」「この敬語はこの状況下で使うか?」一つ気になるとググりの手が止まらなくなります。できるだけ信憑性のありそうなソースを探したくなるからです。
辞書を買え。 今、私が私自身に言いたくなった感想を記録に残しておきます。

それでも私がインターネットに頼る訳

ただ、そんな感想に一つ反論があるのでそれも記録に残しておきます。
言葉のユースケースって時代によって変わっていくじゃないですか
私がそれをひしひしと感じたのは、「ら抜き言葉」と「肯定の全然」です。
気になって調べてみたところ、Wikipediaに以下のようなページがありました。

まさに自分が気になっていたものがこの「日本語の乱れ」というページにまとめられていました。
そしてここに私が一番言いたかったことも綺麗にまとめられていたので、以下に引用します。

サンキューウィッキ、フォーエバーウィッキ

本来的に言語(ロゴス)とは長い時間をかけて変転・流転するものである。
またある時代で「乱れ」であると見做されたものは、別の時代に於いては廃れたりまた普遍化したりするわけである。
このように言語、言語機序は生成転化する。

このように、今となっては多くの人に受け入れられているものがしばしばあります。その時々で、言葉のスタンダードというものは変化していくのです。
そういったことを調べる時には、やはり便利なのはインターネットです。市井(インターネッツ)の暮らし(流行り)をつまびらかにしてくれます。
私のググり手は、これからも止まることがないでしょう。
程々にしておこうとは思っています。

さて、このような「日本語の乱れ」を私が意識するようになったある出来事があります。
それが冒頭でチラ見せした、「高校受験で巡り合ったある試験問題」だったのです。

出会いは突然に〜私 meet バイト敬語〜

中学三年生の頃、私は受験勉強に明け暮れていました。
地元の塾の選抜クラスに入り、同じようなレベルの高校を目指す仲間と切磋琢磨していたのです。
具体的には、ホワイトボードにボード用のペンを押し付けてインクを流して、乾いたインクを剥がしては「ペンスキン」とのたまい盛り上がったり塾長のデスクにあったマリモを虐めたり入退室チェックに使われるバーコードリーダーにその辺の備品のバーコードを読み取らせたり していました。
一番上のクラスだったはずです。一応。
そんな私でも、流石に受験日が近づいてくる頃には志望校の過去問対策に没頭していました。
第一志望校の過去問を何年分も解き続けていました。
私の第一志望校は、十年近く試験問題の傾向がほとんど変わっていない学校でした。
入学後に何となくその訳を気付いたのですが、基本的には教師の異動がほぼ無い学校だった為試験問題の傾向がほとんど変わらなかったのだろうと思います。
例えば、英語の試験では毎年必ず 日本の伝統行事や日本独自のもの・ことを指定文字数の英作文で説明する と言った英作文問題が出題されていました。「七五三を知らない文化圏の人に、七五三を説明する英文を書きなさい」と言った感じです。
理科だととある在学生が、突飛な着想を得て実験を始めるという強引にも程があるイントロダクションから始まる大問 が存在したりしました。「神経伝達の速度が気になったので同級生たちを動員して手を繋がせる」と言った感じだった気がします。 優しい友達に恵まれたなお前
そんな学校の国語の試験は、例年大問が三つあり、「論説文」「小説文」「古文」が出題されていました。
大体私が過去問に取り組む時は、まずは試験問題全体にざっと目を通し、何となく気分が乗りそうな(すらすら解けそうな)文章から手を付けると言っセオリーでやっていました。

そんなこんなで迎えた試験当日。
一番初めの試験は「国語」でした。
癖の強いチャイムが鳴り(ウェストミンスターの鐘ではなく特殊なメロディが流れる学校でした)、試験問題を大袈裟にバサァ!とめくりました。
画数が多い本名を書く時間も惜しかったのですが、解答用紙にしっかりと名前を書いてから私は問題冊子にざっと目を通しました。

大問が四つありました

声は出さなかったものの、「はぁ!?」となった記憶が未だにあります。
最低でも十年は、三つしか大問なかったやんけ!
(余談ですが、最近も大問三つスタイルのままのようです。なんでや)

その時増えていた一つというのが、「敬語」の問題でした。
とある会話文の中で使われている言葉遣いの中から、間違っているものを見つけ出し訂正すると言った問題でした。
その会話文が確かファミレスで発生する会話で、「バイト敬語」を指摘して修正させる問題だった記憶があります。
「〜になります」を「〜でございます」に訂正するような問題だった気がします。
一時間目の国語が終わり、私はすぐに母親に連絡を入れました。
「大問が四つあって、新たに敬語の問題が増えていた」と。
すぐさま応援に来てくれていた塾長に伝達されたようでした。塾長はすっ飛んで本部校に帰ったらしいです。 そりゃ傾向が変わったら一大事だもんな

そんな高校入試の大事件、忘れられません。今でもここまで鮮明に覚えています。
前の席の子がずっと鼻を啜っていて「めちゃくちゃ煩いな」と思っていたことも覚えています。 偶然にも入学後、結構な早さでその子とは友達になりました。

「言葉への意識」はなるべく内に

これが、私が初めて言葉遣いを明確に意識した最初の出来事だったと思います。
それ以前から文章を書くことが大好きな子どもではありました。でも、ここまではっきりと意識はしていなかったと思います。

ここまで話した「誤用」以外にも、私が日常的に意識していることをまとめてみました。

  • 三点リーダー(…)」は二つ連続で使う
  • 「〜こと(事)」はなるべくひらがなにして、濫用しない
  • (特に技術ブログで)日常であまり見る機会のない漢字はひらがなにする
    • 「殆ど」→「ほとんど」
    • 「暫く」→「しばらく」
  • 文体を統一する(論文はほぼ絶対)
    • わざと崩す時はある(説明文は敬体、会話に近い感情的な地の文は常体にしたり)
  • 漢数字・アラビア数字の統一
    • できるだけ横書きの技術文章ではアラビア数字、縦書きの小説では漢数字
  • 読点を濫用しない
    • 大体一〜二個/文 になるように調整する
  • 同じ表現が連続する時は言い換える
    • 語尾が「〜でした」続きになって違和感を感じた時は崩したりする

もちろん、これらは自分の中でも「マスト!」なルールではありません。時代によって変わるだろうし、上にも書いている通り時と場合によって変化することはあります。句読点の付け方一つでも、時と場合によって変化します。
Twitterを始めたての頃(2010年頃)、ツイートをきちんと句点で締めないと「気持ち悪いな」と思っていた頃があります。
それが今やこうです。

ただ、ある程度ルールを決めておくことで文章が綺麗に、書く時に「今回は数字どっちにしよう……」などと悩まず効率良く書くことができます。
そして、あくまでもこれは自分ルール です。人に押し付けることはしないように意識しています。(特に三点リーダーの使い方とか)

言葉は自由で、流動性なものであると私は思っています。
今は「ら抜き言葉」も「肯定の全然」も違和感が残っていますが、いつかは「全然大丈夫、食べれるよ」と自然と声に出して言っているかもしれません。
でも、その変化こそ言葉の本質のままに生きている感じがします。違和感を感じなくなりそのことに気付いた時、きっと私は新しい感覚を得て楽しくなっていることでしょう。
ちょっとだけそんな未来を考える、そんな五月半ばの休日でした。

元日、私はココイチのカレーを食べた

微熱から上がったり下がったりを繰り返していた熱もようやく収まり、しつこく痰が絡む咳との格闘だけになった元日。
私は、ココイチのカレーを食べた。

正月の楽しみどころが分からない

しょうもない出だしから明けましておめでとうございます、宇宙ネコです。
流石に寝正月を送るのもなんだし、体調もぼちぼち整えていきたいなと思ったので雑記を書いてみる事にしました。
皆さんは、お正月の何を楽しみにしていますか?
色々あると思いますが、私は今からその色々を ひたすら叩き潰していきたいと思います。
年末からインフルエンザで全く正月らしい事をしていない僻みが無いとは言いませんが、多分健康体でも思っている事なので割とニュートラルな自己分析に依る言葉であると信じています。

おせちにあまりときめかない

そもそも昔は三が日店が休みを取っている事が普通だったからおせちを作って食べる文化となっていたようですが、その観点でいくと「おせち、現代ではもう良くない?」となってしまいます。
そんな屁理屈を差し引いても、おせちの中身で「これ大好き!」となれるものが少ないのです。
昔から自分が好きだったものは何かなぁと考え、箇条書きにしてみました。

  • 紅白かまぼこ
  • 数の子
  • 伊達巻
  • 栗きんとん
  • ローストビーフ・ハム等の肉類

……成人してからあまり食べていないのもありますが、基本的に煮物系があまり好きではないです。舌も心も子どもです。
また昆布とか田作りが致命的に苦手です。
となると、「これどこが可食部やねん」という問題にぶち当たります。
後は、甘いものはあまり食事に食べたくない派なので、伊達巻と栗きんとんはデザートとして食べたいです。 そもそも、朝ごはんを食べると気持ち悪くなりやすい為、基本的に朝ごはんを殆ど食べないのでおせちは完全に重量オーバーです。    

餅を食べるのが下手すぎて辛い

「何言ってんだ?」という方の為にちゃんと説明するので少々お時間を下さい。
お雑煮は大好きです。家はすまし汁にかしわの入ったタイプのものでした、ほっこりする味でとても美味しい。
お餅も大好きです。甘いのもしょっぱいのも好きです。磯辺巻きの焦げた醤油の香りとかたまらないです。
ただ、 餅を食べるのが圧倒的に下手くそ なんです。
どう下手かと言うと、 餅が増えます
冗談でなく、増えます。食べても食べても餅が減らないのです。
食べても減らないと言うことは、餅が増えていると考えるのが自明でしょう。
食べても減らない、寧ろ増える餅。食べるほどに膨れるお腹。 地獄、の一言に尽きます。
美味しいものは無くなって欲しくないと思ってしまうものですが、いざ現実となるとしんどい事が分かりました。
後、元々食べるのが遅く、その辛みも絡んで倍辛くなります。
そもそも、朝ごはんを食べると気持ち悪くなりやすい為、基本的に朝ごはんを殆ど食べないので餅は完全に重量オーバーです。

スケジュール過密でしんどい

あなたは休日は午後に起きるタイプの人間です。
この前提で話を進めるので、今のうちにこの設定になりきって下さい。

そんなあなたにも元日は訪れます。明けましておめでとうございます。
元日は朝から新年の挨拶が始まります。家の中、ご近所、ファーストエンカウントが発生する度に畏まった挨拶をする事になります。
もしかすると、初日の出を見に行く事になっているかもしれません。その後初詣も行っちゃうなんて事もあるかもしれません。
忙しなくご飯を食べ、服を着込み、外に繰り出し……落ち着いた頃にはもう日も上りきった午後。
いつもならこれくらいにのそりと起き、お湯を1クリックで沸かし、インスタントコーヒーを適当な濃さに淹れて寝巻きのまま一服しているというのに。
こなしたタスクの数が既に業務時と同等です
「休日に何もしないの?」と考えるタイプの人にこそ読んで欲しいのですが、「休日に何もしたくない」と考えている人にとって休日にこなすあれこれは タスク です。
0タスクで過ごしたいのです。

生まれて初めて何もない元日を迎えて、私はカレーを食べた

上記のような「ハレ」イベントを「タスク」と捉えている私は、生まれて初めて正月らしい事が皆無な元日を迎えました。
そのバックグラウンドにあるものは、先ほどからちらほら話している通り「インフルエンザ」だったりするのですが。
ちょうど年末年始にかけて高熱・微熱・吐き気・関節痛・頭痛・激しい咳と体調不良の満漢全席を味わっていた為、何一つ準備も予定もありませんでした。今書くの?みたいなブログを書いたりはしていましたが
年末最後に食べたものは マックのナゲット です。ちょっとワクワクしました。マックのナゲットのバーベキューソースが死ぬほど好きなんですよね。

体調が芳しくないと食べたいものもピンと来ないもので、友人が送ってきたおせちの写真を見ながらコーンフレークを食べたりしていました。コーンフレークの砂糖が溶けた牛乳を飲む時、「生きてるなぁ」と感じられるくらいには幸せを感じます。
動き回ると熱が軽率に上がったりする為ベッドに寝そべり、冬休み前に買ったポケモンを進めたりしながら過ごしているとあっという間に夜を迎えました。そう、勿論起床は午後だったので あっという間に 夜になるのです。
さて、何を食べようかなと思った矢先、ふと頭をよぎったものは カレー でした。
言葉に言い表せないのですが、私はカレーが食べたくなったのです。それもココイチの。
野菜カレーに辛さを追加し、ご飯を減らし、カツとナスを追加しました。

こんな元日にも宅配のある現代に生きていて良かったと、しみじみとしました。
うっすいカツも、油を良く吸ったナスも、何もかもが私をしみじみとさせてきました。
インフルエンザの前は親知らずを抜いて、その時の激痛を引きずっていて刺激物を全く食べないようにして過ごしていた事もあり、久々の刺激物が心に染み渡りました。
飲み物を買いに行くついでにコンビニで買ったピクルスとカレーに付いてきた福神漬けが被るという事故もありましたが、味のベクトルが違うので不問になりました。
酢漬けの漬物とお米は合わないだろうと思って普段生きているのですが、カレーにおいてだけは別です。
様々な野菜の入ったピクルスだったのですが、プチトマトだけはピクルスに染まり切らずプチトマトとしての自我を守りきっていました。なんで?
そして、案の定半分程度からは味への感動が満腹中枢にかき消されるようになり、頑張って黙々とカレーを食べ進める事になってしまいました。

こんな出だしもきっと悪くない

元日の出来事を翌日に書いているので、既に毎日日記を続ける事は不可能になった 訳ですが、今年は気が向いたらこうやって日常をゆるゆる垂れ流していきたいなと思います。多分だけど、仕事始まった瞬間にこの想いは全部吹き飛ぶ予定
正月疲れの合間のお供に読んで頂ければ幸いです。

▲ 今年はマジで正月っぽい事を何もしていないので、去年の写真を貼ります

今年もこんな人間をやっていく予定ですが、どうぞよろしくお願い致します。

re:Inventでラスベガスに行った人がDance Dance Revolution(DDR)をやりたくなった時に読む記事(2019年版) #reinvent

お久しぶりです。宇宙ネコです。
お久しぶりを通り過ぎて「お前誰?」となっている方も多いと思われますが、そのような方ははじめまして。 宇宙ネコと申します。
普段は仕事の傍ら得た知見を会社のブログにまとめたり、ブログを書く傍ら仕事をしたりして過ごしています。
こうなるまでの経緯は初めのエントリに詳しくまとめてありますので、気が向いたらご一読下さい。10分程度は暇潰しができます。

astro-cat.hateblo.jp

さて、今日はこんな私が仕事の傍ら得た知見で、「これは知見だけど社のブログ向きじゃない……けど絶対まとめておきたいよな」と思ったある事柄をここに纏めておきたいと思います。

re:Inventで行ったラスベガスでもDDRがしたい

まず前提として、このブログに頻出する単語を軽く纏めておきたいと思います。

  • re:Invent: AWS(Amazon Web Service) というAmazonが提供しているパブリッククラウドサービスが1年に1回、1週間程度アメリカのネバダ州ラスベガスで実施しているカンファレンス。より分かり易くまとめると 世界中の誰もが何かしらでお世話になっているAmazonクラウドサービス が総力を挙げて新サービスやセッションを あのラスベガスでやっちゃう1年に1回の盛大なお祭り

  • DDR: Dance Dance Revolution という、ゲームセンターで遊ぶ事ができる体感音楽ゲームダンス知らなくても踊れるよ!! というメッセージが公式から発信されていたが、どちらかというと行間の(ダンス知らなくても) 安定した体幹と強靭な筋肉、全力の運動に2分弱耐えられる体力があれば(踊れるよ!!)という想いを汲み取る必要があったゲーム

以上。
……と、ここまでで「re:Invent」と「DDR」の接点が見出せる人は 皆無 だと思います。
なので、もう少し「DDR」について補足をしていきたいと思います。

DDRには「エリアブラウザー」というコンテンツがあります。
これは、プレイした筐体の所在地を記録していってくれる物です。
そして、この記録を目当てに各地のDDRをプレイする事をよく「 行脚 」と言います。
同じくKONAMIから出ている音楽ゲームである「beatmania IIDX」(通称: 弐寺)でも同様のコンテンツがある為、音楽ゲームをやっている方は聞いた事があるかもしれません。

DDR A時代の記録。前職の特性や旅行ついでにゆるゆる行脚していました

上記画像では表示されていませんが、他にも台湾や韓国・アメリカ・タイなどのDDRが稼働している国でプレイすると記録が追加されていきます。

さて、この「行脚」ですが結構面倒な事に時間とお金が大いにかかります。
そもそも、観光地にゲーセンがあるとは限りません。また、DDRという機種は筐体の値段など様々な事情が相まって置いているゲーセンが限られています。
「ゲーセンあるじゃん!ダンレボやらないの?」と聞かれて説明に窮した経験、ありますよね。
また、「 機種がメジャーアップデートするとコンテンツが1からにリセットされる 」という予測しづらい時限爆弾のような要素もある為(幸か不幸か、DDRはメジャーアップデートの頻度は非常に低い機種なので有難いのですが……)、ガチ勢の人はそれはもう時間・お金・知力・体力・時の運を使って世界中を飛び回るようです。
かく言う私も「出かけた先にDDRがあるのなら記録をつけておきたい」と言う貧乏性のような行脚精神の持ち主な為、出先のDDR事情については多少アンテナを張って過ごしていました。
……と言うここまでの経緯を元に見出しを少し手直しすると、次のようになります。

re:Inventで行ったラスベガスでも「DDR行脚」がしたい

結論から言うと、「難しい」です。
正確に言うと、「re:Inventにフルで参加しつつ移動できる範囲で、行脚対象となるDDR筐体をプレーする事は難しい」です。

行脚対象となるDDR筐体がほぼほぼ無い(DDR-Navi調べ)

ここで、行脚er(行脚をやっているプレイヤー)御用達のあるサイトについてご紹介します。

www.ddr-navi.jp

みんな大好き、 DDR-Navi です。
簡潔に説明すると、DDR筐体のあるゲーセンのWikipediaと言うべきサイトです。
特に、初めての土地で行脚する際のアクセスや筐体の種類の確認ができるのが有難いです。
また、最終確認日も記載されているので「わざわざ行ったのにDDRが置いてなかったんだけど……」と言う悲しみを背負うリスクも減らせます。

実際に、去年re:Inventに参加した際に 8kmほど歩いてDDRをプレーしてきた 際に更新した情報ページのリンクを載せておきます。

www.ddr-navi.jp

上記ページに詳細は記載してあるのですが、現地に足を運んで 行脚ができなかった ゲーセンです。
でも、店長さんはとても気さくな方で、自作のポプカ(KONAMIポップンミュージックという音楽ゲームのカード)でデコったeパス(行脚に必要なカード/後述)を見せてくれたりととても良い思い出ができました。
後、ITG(In The Groove)があったのも個人的には驚きでした。良い思い出。
マッカラン国際空港に近いところにあるのは嬉しいです。re:Invent期間真っ只中に行くとなると時間と足の確保(LyftUberといったシェアタクシーアプリ)が必須となります。

行脚に必要な条件

DDRがあったのに何で行脚ができなかったの?」「行脚対象のDDRって事は、行脚非対象のDDRもあるって事?」と思われている方もいらっしゃると思います。
その通りです。
ここで、行脚に必要な条件を記載します。

  • 現行稼働バージョンのDDR
  • eパスというゲームデータを記録する専用ICカード
  • eパス使用可能筐体(現行バージョンが入っていれば粗方ここは問題ないはず/赤筐体以降の筐体)

前述しましたDDR-Naviでは、事前にこの辺りが調べられる為「ここは行っても行脚できないのね」と言った情報が得られます。
その観点でラスベガスについて調べると、DDR-Naviにデータのある3店舗のうち1店舗しか行脚対象にならなそうです。(去年可能性を潰したもう1店舗は、残念ながら今年は行かなかったのであれからどうなったかは分かりません……)

対象になりそうな店舗へのアクセスを調べていたところ、re:Inventが開催されている地域からは以下のような結果が出ました。

▲ 遠い

8km歩いた私ですが、30km弱は流石に遠いと思いました。
re:Inventにゴリゴリ参加しながらの行脚は、上記の理由で 難しい です。

それでもre:Invent中にDDRがしたいし、実は旧機種が好きだ

ここからは「 行脚はさておきとにかくDDRがしたいんだ 」という方向けの話になります。
余談ですが、私はDDRの旧機種の方が好きだったりします。
筐体はX筐体が好きだし、好きな曲は「Midnite Blaze」や「Do It Right」や「R壱万」です。
分かりやすく説明すると、「 旅館に置いてあるような古い機種こそやりたい事がやれて好き 」な人間です。家庭用のDDR(PS無印やPS2、北米版のWiiなど)をゴリゴリ買い集めてやっている人間です。アキバではトラタワに行く人間です。
何はともあれ、昔のゲーセンにあったDDRが大好きという訳です。

そんな訳で、ここからは「re:Invent会場から徒歩圏内もしくは交通機関で10分程度の距離にあるDDR」の紹介をします。
実際に自分で行ったところと情報を伝聞しただけのところがありますので、情報の正確性に関しましては留意して読んで頂けますと幸いです。( 2019年12月の情報です )

re:Invent会場とDDRのあるゲームセンターの場所

赤いマーカーがre:Inventのセッション会場となっているホテル、緑のマーカーがDDRが設置されているゲームセンター及びエリアとなっています。
ちなみにこのマップは、Pythonで地図を可視化できるライブラリ「folium」とJupyter Notebookで作成しました。
では、それぞれの場所について紹介していきたいと思います。

West Wing Boutique

goo.gl

MGMグランド にあるゲームコーナー。
知っている範囲で唯一の、 セッション会場内にあるDDRです
会場内って言っても広いし見つけられるのか?と思っていましたが、ホテル内でマップを開き、目的地の方向に歩いていくと辿り着くことができました。恐ろしやアメリカンサイズ。
ホテル内でマップを開くという稀有な経験ができたので良しとしました。

筐体は X筐体 。稼働バージョンは DanceDanceRevolution X2(US版) でした。
クレジットの投入ができるようになっており(1,5,10,20ドル札の投入が可能なようでした)、5ドル札を投入してみたのですが4クレジットになったので、正確な1プレイの値段は1ドルジャストでは無さそうでした。
シングルプレイは1クレジット・ダブルプレイは2クレジット消費となっていました。
時間制のフリープレイが多い中で、サクッと1クレ分遊ぶといった事ができるのは良いですね。
(北米版初出の「ICE ICE BABY」と「DAFT PUNK IS PLAYING AT MY HOUSE」がありました)
EUROBEAT好きとしては「SUPER EUROBEAT」の曲が入っている事が嬉しいです。
後最近Nightcoreをいっぱい聞いていたので、原曲としてよく使われているCascadaの曲が入っていたのが嬉しいという。二度美味しい。
only my railgun」や「EZ DO DANCE」、中国語版の隠し曲たちもあってお腹いっぱいだなぁ……と感慨に浸りつつ 実際に遊んできました。

遊んだ感想としては、よくあるホテルの一角にあるゲームコーナーの筐体という事もありパネルの感度はそこそこです。ハマる事もあります。
でも、ワイドな液晶のサイズ感が嬉しいX筐体(個人的に白・金筐体はちょっと大きく感じているので)をアメリカの地で踏める喜びは半端ないです!
MGMでのセッションに参加して、シャトルバスの待ち時間があるなーとなった際などに是非遊んでみて下さい。そのままバスに乗り遅れないように!

GAME NEST

g.page

セッション会場周辺からは少し外れにあるゲームセンター。
ルート検索した限りですとベネチアンから車で12分程度の位置にあるようです。
公式ホームページはこちら。
Game Nest

筐体は、上記ホームページ・現地で遊んできた人の話より 赤筐体 。稼働バージョンは DanceDanceRevolution A のようです。
基本的に、時間貸し(8ドル/h〜)でゲームプレイをさせてもらう仕組みのようなので、PASELIの利用は不可能そうです。
去年も、同様のフリープレイ形式の店舗でeパスが利用できなかった為行脚は不可能……かと思われますが、もし現地へ行かれる機会がある方がいらっしゃいましたら試して頂けると嬉しいです!
その時はカードリーダーが壊れているといった事を伺ったので、もしかすると行脚可能かもしれません。
やはり赤筐体のeパスを差し込むタイプは壊れやすいなぁ……といった感じですね。
「やってみた」をしてくれて、行脚成功報告を頂けると私が喜びます!
他にも、公式ホームページのギャラリーを見る限り以下の音楽ゲームがありそうです。

PIUがあるのは、足でやる音楽ゲームをやる人としては嬉しいですね。

CIRCUSCIRCUS/Adventuredome

www.ddr-navi.jp

こちらに関しては、DDR-Naviの情報しか知らないのでリンクを掲載しておきます。

DDR-Naviによると、こちらもWest Wing Boutiqueと同じホテル内ゲームコーナーのDDRのようです。
ちなみにこの「CIRCUSCIRCUS」は、re:Inventの後半にあるお祭り「re:Play」の会場に向かう途中に見かけるホテルです。

▲ ホテルの外観

 

▲ 思わずネオンに目を惹かれるはず

歩きながら適当に撮った写真しかなかったのですが、真っ暗な道中では必ず目を惹かれるはずです。
外観についてもっと知りたかったら「CIRCUSCIRCUS Las Vegas」でググって下さい

ラスベガスに行ってDDRをするという事について

re:Invent期間中でも足を運べそうなゲームセンターやゲームコーナーについて紹介してきました。
「ラスベガスまで行ってDDR……?する?」と思われる方も多いかもしれませんが、実は意外なメリットもあるかもしれないです。
という良さそうな話をちょっとだけさせてもらって、私のDDR紀行 in re:Inventを締めくくろうと思います。

DDRがきっかけで現地の人と交流する機会があるかもしれない

時間貸しの店舗では確実に、 英語でのコミュニケーションが必要になります
そのゲームセンターでのしきたりやお金のやり取りをする必要がある為です。
ついでに、DDRの話をする事もあるかもしれません。何故なら、そこに集まっているのはゲームという共通言語を持った人たちですから。言語の違いも少しは緩和されます。
去年(2018年)のre:Inventの話をちらりとしましたが、自分の持っているeパスから話が広がる事もあります。
更に、そのゲームセンターから引き上げる時に呼んだLyftの人と話す中で「DDRをした帰りだったんだ」言ったところ「DDR知ってるよ!曲も知ってる!こういうのだろ?」とタクシー内でノリノリな曲を爆音でかけて貰いました。
日本にいても、海外の方に声をかけられる事はDDRをやると稀にあると思います。
「その曲好きだよ!」「ありがとう!」と言った挨拶程度の会話かもしれませんが、それでも英語かつ趣味で会話ができると嬉しいものがあります。

自国と同じものに触れて心が安らぐかもしれない

初めての海外、初めての入国審査、初めてのカンファレンス……慣れない事づくしで私は初海外をラスベガスで過ごしました。
そんな中で、自国でいつも触れていたものがあるだけで少しホッとしました。
DDRをプレーする10分弱は日本にいる時と同じように足踏みをしているだけなのです。
日本もアメリカも同じように重力があるんだよなぁ 、というちょっとずれた安心感を早いうちに感じる事ができました。

ただ、DDR比較的運動寄りのゲーム です。
re:Inventは約1週間あります。移動時間も合計でほぼ1日近くかかります。
体力の配分はしっかりした上で、気が向いたらセッション会場周辺で遊んでみて下さい。

では、良きDDRライフを!

「ゆるブラック企業」を退職致しました

 

突然ですが、話題の「ゆるブラック企業」を退職しました

初めまして、宇宙ネコと申します。初めてはてブロを書きました。


これは正確に言うならば、

スキルアップがしづらい業務内容」

「(常駐する私は)残業等は少なく、環境や人間関係は良好」

な常駐先単発ガチャを引いた社会人経験1年未満の私が

「月給20万円前後」の会社(SES企業)を退職しました、というエントリです。

大体5200文字です。

読むのに10分くらい掛かるかもしれませんがよければお付き合い下さい。


決してブラックとは言い切れない待遇で、自分の悶々を言語化出来ずにずっと悩んでいた私が出会った「これだーーー!」と言うストライクゾーンワードだったのでタイトルにつけさせて貰った次第で。

造語がすとんと腑に落ちる瞬間を実体験してしまいました。ゆるブラック企業。パープルは好きな方の色だから私はゆるブラック企業とこれからも言い続けていきたい。

SES企業って誰視点から見るかで色が変わりますよね。つまり赤方偏移企業。ちょっと言ってみたかっただけです。

 

 

 

本エントリがSES企業の批判と捉えられるのかどうかの問題


持論は

「SES企業はITじゃなくてITの技術力を持った人材を派遣する企業だからそう名乗ってくれや!ややこしいねん」

なのですが、今回そこにはあまり突っ込みません。

「人売り文化」に馴染めず、「勝手」に精神にダメージを受けた私が「当業界に対する理解の甘さ」を自戒した記録がこの退職エントリに詰まっている、その前提でお付き合い頂ければ幸いです。
デザインイケイケおしゃブログを作って日々技術について語っていくゾ☆とか始めた私が次のエントリで早速愚痴をこぼしだし、その後は体調に支障を来して全てが風化した話も多分突っ込みません。いずれ気が向いたら突っ込むかもしれません。

 

と言いつつ最初で最後にしておきたい愚痴(遠吠え)


「SES企業」ってワードをどれだけの「IT未経験の人」は認知してこの業界に入ってくるのだろうかと。

ずっと事務職を探してて、このご時世事務職なんて無いぞ☆理系のロジカルな君ならIT企業オススメだぞ☆ってエスカレーションしてきた某就活コンサルタント企業は一言も教えてくれなかったぞ。若干コンサルタントから距離感0寄りのチャラみを感じた時点でもう少し能動的に動くべきだったわ。理系=ITの謎定理を押し付けるなや!まぁ定理を証明せずに丸暗記するダメ理系タイプの私がダメってオチです。

くっそうそれでも悔しい。


自己分析も企業研究も通らなかったルートしか歩んでいないのでイマイチ分からないのですが、4年次に就活を行い、自己分析や企業研究を行い非情報系理系や文系でIT企業を能動的に志望した方々はSES企業やIT企業の構造を把握した上で就職先を選んでいったのでしょうか。もし良ければ、自分はこうでしたといった情報をお寄せ頂けるとありがたいです。周りもそのようなルートを歩んだ人が少なかったので私の中でのデータが足りないのです。

 

「私」についての最低限の前提知識の提示


自分で言うのもなんですが、上記の就活の話のように少々特定され易い経歴を持っているのでぼかしぼかし「私」についてお話致します。短い人生の中でも色々イベントが発生したお陰で、面接等の際にはすべらない話がn(n:1以上の自然数)個程出来たりします。
理学部卒(非情報系)で、未経験歓迎IT企業(IT企業にある程度の理解がある方なら分かって頂けると思う比喩表現)に入社させて頂いた社会人歴1年未満のインフラエンジニア志望の見習い、それが「私」です。

簡単にここまでの経緯をお話しすると

 

未経験歓迎IT企業入社

研修終了後常駐先ガチャ実施

常駐先勤務中、体調不良になり撤退

休職

休職の期限、3ヶ月を経過する前に退職←Now!

 

こんな感じですね。

 

そうだ、退職して転職、しよう。までの道のり

 

①常駐先単発ガチャで引いたのはWindows Server周りの保守業務

初期ガチャで多く入っていると言われる保守業務を引きました。

まずここですが、私が研修で扱ってきたのはLinuxサーバです。

これ自体はよくある話だとは思います。開発言語が違う!の領域よりは断然マシだと思うし。

それに、勝手が違えど所詮はPC。現場で触れていけば慣れるものだと認識していたので当時はこれでストレスを負う事はまだありませんでした。

 

②技術向上と自我を投げ捨てた業務内容

保守自体は大事な業務だと思います。構築して終わりなんて世界はないです。

寧ろ保守予算割いて劣悪な状況を作り出す企業はなんなのだろうと思っております。

ただ、私の行っていた業務内容はトラブルが発生したエンドユーザ様からの通知を受けてトラブルの切り分けをした上位会社からの連絡を受けたら、現地に技術者の方を派遣する為のスケジューリングや手筈を整えて現地に技術者の方を連れて行き、エンドユーザ様と技術者の方を直接会話させないように仲立ちする事です。

どのベンダーに連絡を取るかなどは既にマニュアル化されてます。

 

つまり、私が行う事はマニュアルを確認し、ベンダーにメール・上位会社にメール・メールが帰ってきて予定が付かなかったらリスケしてメール・返事が来なかったら(大抵は上位会社がメールを止めます)催促のメール・メール・メール・現地に行く事になったら自社に手続きの連絡……就活当時に念願だった事務職になれたのかな?と何度思った事か。そもそも、この中継ぎポジションがいる事でやり取りの工数増えてない?要る?

その際、普段から自社名を名乗れない(常駐してますから)上に

常駐先の名前すら名乗れなくなります。

 

まさに我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのかと言った感じです。

自殺は考えませんでしたが、色々負の感情は渦巻いておりました。

ただ、常駐先の上司の方はこの業界の構造に難色を示している私の話をよく聞いて下さり、今後スキルが身につく業務を回せるように努力して下さる方でした。

その気持ちはとても嬉しかったし、私の業務の姿勢(何事も言われたまま行うのではなく、自分で調べてより効率の良い手段があればそれを実行する)を評価して下さったりと先に述べたように人間関係や環境は良好な常駐先でした。

ただ、身体は新しい業務を貰うよりも先に限界を迎えてしまいました。

偶然罹った胃腸炎が治りきらず、慢性化しかけ、胃にポリープが出来てしまい休職する事となった訳です。

 

③ガチャ運はメンタルに結構響く

まず先に、「常駐先ガチャのここがクソゲー 」を改めて確認してみましょう。

 

SSR案件の比率が不透明!


ブラックボックスガチャ。ガチャで引ける案件の内容が事前には全く分からない!


天井がない!


自分の好きなタイミングで引けない!


(インフラ観点で行くと)長期の案件が多く、長期ゆるブラック案件(程よく楽だがスキルアップしない)を引いた際の自身のキャリアプランリカバリーが難しい!

 

お賃金から9万円減らしてくれていいからガチャ天井したい、なんて狂った思考回路も育ちました。半分本当です。

 

ある同期の話をします。

その同期とは同じ面談に赴き、研修上がり立ての為同じようなスキルシートしか持たなかった為に私の性別が決め手となり(現場のメンバーの方の性別を加味した結果なのか?性別が決め手だったと言った内容しか私は聞かされていない)私が選ばれた事がありました。それがさっき話した常駐先です。

それに選ばれなかった同期はばりばり構築・運用に携わり、実機にも一杯触れ、シェルスクリプトをバリバリ学んで書く常駐先を引いていました。

私が引いた先は問い合わせ業務メイン・実機に触れる機会はほぼ無い保守業務。

(因みに私がガチャで引いた案件は、単価が私の月給の約2倍の案件。

更に「平均よりも少し安め」で私は売られたらしい)

もしも私があの時選ばれなくてそっちの現場だったら、と軽く嫉妬してしまいました。

 

同期入社という意味では同じスタートラインに立って居た筈だったのに。


たまに同期間で実施していた飲み会で会う毎に、新しいものに触れて生き生きとしていく同期を見て、自分も同じように生き生きとしていきたいと考え、独り家で仮想環境を立てて実機に触れる機会を作りました。丁度LPIC(現LinuC)のレベル1の勉強もしていたので、これはとても役に立ちました。
ただ、「業務として、誰かに貢献出来る」作業と「自身で知識を増やし、満足する」作業とでは若干ベクトルが違いました。私は後者のベクトルに加え前者のベクトルを感じたかったらしいです。

折角高得点で取得したLinuCを活かせる業務は中々回って来ず、変化の少ない日常。
心のズレは次第に体調面にも現れていく事となってしまい、治らなかった胃腸炎は間接的にメンタル面から来ていたと診断されました。

 

④立ち止まってみて考えた事

話は少しだけ逸れるが、若干だが自社で交流を持たせて頂いた大ベテランのエンジニアの方(どちらかと言うとマネジメントのベテランのようなのだが、このような方はどうお呼びしたら宜しいのか)がいらっしゃった。PMやPL歴の方が長いその方の経歴だが、初めは3年間コールセンターでの問い合わせ業務だったらしい。もしその方に、そこから私が本来なりたかったような技術を駆使して貢献出来るポジションへ至る為の身の振り方を尋ねていたら私の人生も変わっただろうか。
答えは勿論分からない。今現在の私に至る過程で、そのような選択肢を採る私は収束してきている訳だから。シュレーディンガーのインフラエンジニアである。すいません適当な事言いました。量子力学は弱いのでスルーしてあげて下さい。私はまだ0か1かの選択肢しか持てないしがない見習いなのです。


ただ、これだけは分かる。そのifがあろうと無かろうと、せっかちな自分はきっと今している事を行うタイプだろうなーと。

まず行動、なのだ。資格を取る、その行動が終わったら次はその資格を活かせる業務につきたいと考えてしまうタイプなのだ。

だからきっと、人がどうしてようがその人の生き方は参考程度に留め、この二十数年で身に付いた自分の生き方というものを実戦し続けていくのだろうなと。自分が最大のパフォーマンスを発揮出来ると考えているメソッドが太い芯となって存在し続け、大元はぶれずにこれからもこうやって進んでいくのだろうと。
そう、不器用だろうとなんだろうと、これが私の生き方なのだ。

 

そうだ、退職して転職、しよう。

 

運も実力のうち、ならば


私は、運も実力のうちであると考えている。今回初常駐の結果がこうなった私は、常駐先ガチャや常駐先で運を引き寄せる実力が不足していたのだろうと。

それならば、自ら行動を起こしてやりたい業務を引き寄せていこうと。


行動で運を補っていこう。
気付けばそう考え、今こうして私は退職エントリを書いています。数週間前までは、夢想の域を出なかった次のステップについての思索を巡らせながら。


このエントリ自体を投稿するのは、様々な事が落ち着きを見せてからになると思います。実際、退職手続きは中々ばたつきまして、現在は傷病手当金の申請や今後の国民保険・国民年金関係の手続きでばたばたしております。

(この辺に関しても、ひと段落ついたら分かりやすくまとめてみたいと思っています)


ただ、ありのままの、渦中における感情のストリーミングを記録しておきたいので、色々とばたついている今現在、こうして筆を執っている次第なのです。

実際、加筆修正する前にこのエントリの草稿をがっと打ち込んだのは今から2週間ほど前でした。

ようやく、本日付けで正式に退職となりましたので気持ちの整理の為にこの記事をアップしようとしております。

 

取り敢えずのこれからの事

・待ち構える様々な手続き関係をこなす

・転職先へのジョインが7月・初任給が8月なのでそこまで凌げる短期の仕事を探す

・(上記について)体調を万全にする為にも在宅系のデータ入力を見つけたい

 (上手く見つけられなくて困ってます)

ノマドワークが捗るカフェ調査をする

AWS認定(Cloud Practitioner)を取得する為に勉強する

・時間のあるうちに部屋の掃除をする

クロスバイクでずっこけて出来た両膝の青タンを治す

お金が入ったら買いたいワイヤレスヘッドホンを探す

 (ヘッドホンを断線させてしまい、取り敢えずこれのパープルを買ってみたのですがどうもカナル型イヤホンが苦手で……)

ソシャゲのガチャ欲に負けない

 もう暫く小梅ちゃんの限定SSRは無いでしょう

 

 

取り敢えず、こんな感じで今後もブログに経過を記録していけたらなと思っておりますのでどうぞよろしくお願い致します。

 

明日の朝は申し込みをしておいたこれが少しでも見られるといいなぁ。

 

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