現実逃避の副産物

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しょうもない言葉を丁寧にラッピングして送り出す場所

実家の猫との思い出

実家の猫が亡くなった、と連絡が来た。

▲ 某ジョインブログのアイキャッチを飾っている子

実家は単線の電車しか走っていない程度の田舎にあり、半分地域猫・半分家猫といった具合の半野良の猫だった。
亡くなった状況や亡くなる直前の話は少々しんどくなる内容だったので私の心の中だけに留めようと思うが、10年近い仲で色々と幸せで楽しい思い出をいっぱいもらってきた。
何度もスマートフォンを買い替えたのもありすぐに持ち出せた写真も少ないのだが、折角なので手持ちの写真と共に今までの思い出を書き留めておこうと思う。

出会い

10年とちょっと前まで遡る。大学生になって一年目のある冬の早朝、近所のゴミ捨て場に行った時に初めて出会った。

▲ 多分出会ってからそこまで経っていない頃

なぜかそのままうちまで着いてきたので、お腹が空いているのかな?とプラスチックパックにミルクを入れてあげたら綺麗に平らげた。

▲ 当時の写真を見つけた

そこから、この猫との付き合いが始まったのを覚えている。

初めのうちは数日に1回ふらっとやってきて、うちの庭(とも言えない狭い駐車場だったスペース)で日向ぼっこしていくのでお水をあげて身体を撫でさせてもらう程度の関係だった。

▲ のっしりとした体躯が良い

いつの間にかうちに猫の餌と水飲み場が用意され、玄関から寝室まで入ってくるようになり、早朝にうちの前にやってきてじっと扉が開くのを待ち一緒に布団で寝て、人間が起きる時間になると外に巡回に行くルーティーンが組まれるようになった。

▲ 玄関先に乗り込んでくるようになった猫

▲ 箱にみちみちツヤツヤ猫

真っ黒で艶のあるこの子は、うちでは「ニャマト」と呼ばれるようになった。
うちでは、というのはそもそも前述した通りこの子は半野良だからというのがある。
それとは別に、ニャマトがよその家の窓辺にいたと聞かされたことがあったり、「クロちゃん」と呼ばれていたのを聞いたという話を伝え聞いたりとよそでお世話になっているんだろうなと分かる話をいくつも聞いていた。
この艶もきっとどこかで誰かがブラッシングなりお風呂なりしてくれているんだろうね〜ありがたいね〜なんて呑気に言いながらうちの家族はニャマトを可愛がっていた。

ニャマトのよもやま話

猫と共に暮らした人はいくつもその猫の面白エピソードを持っているものだと思う。
そしてそれは身内だけの笑い話になるようなもので、その猫を知らない人が聞いても「ふーん」で終わるようなものが多い。と、私は思っている。
ニャマトを知らない人が聞いて面白いと感じるかは正直自信が無いが、私の中で思い出に残っていることをここに書き留めておく。

喧嘩弱いくせにやたらと喧嘩してくる

うちの周りで時々、ニャマトがよその野良猫と喧嘩しているのを何度か見たり聞いたりしたことがある。
そもそも、ニャマトは喧嘩が弱い。なので、大体逃げ込めるうちの周りで喧嘩をしては逃げ込んできていた。

▲ 鼻の頭を怪我したり

▲ 見えづらいが右耳がちょっと切れてしまっている

体格はまあまあ良いがビビりで、その癖ちょっかいを出すのだからこちらとしても「弱いんだから喧嘩してくるのやめーや」としか言いようがない。

▲ 長い猫。最近はしなかったらしいがよく押し入れに飛び込んで寝ていた

そんなことをしてうちに匿ってもらったりしていたのに、たまに外で会うと知らん顔をすることもあった。そしてしれっとまたうちにやってきては我が物顔で寛ぐのだ。
そんな半野良仕草もまた可愛くて仕方がなかった。何をしても猫はかわいいのだ。

写真写りが微妙になりがち

これはニャマトが、というよりは黒猫全般および人間側の写真スキルが低いという普遍的な問題だ。

▲ すごく可愛い寝姿だがまあ顔のパーツが見づらい

▲ 目を閉じた顔の可愛さを伝えるのは至難の業

▲ 歯がキュート!白い!かわいいね!

▲ 何?座布団?

ただ、こんな写真下手でも何十・何百枚と写真を撮っていれば時々奇跡的に麗しい写真も撮れる。
ニャマトと写真下手の人間たちの名誉のためにも、いくつか写りが良い写真を紹介しよう。

▲ 横顔が麗しい

▲ ボディがいい感じに写っている(強引)

▲ 人間の写りは最悪だがニャマトはパーフェクトスマイル

大体がふさふさの団子できつめの目になりがちなのだが、大当たりの写真はあるものだ。
相当な枚数の写真を撮ってしまうことは猫を飼っている人あるあるなので分かってもらえると思う。カメラロール一面が猫になったことのない人の方が少ないんじゃなかろうか。

よもやま話まとめ

一つ一つのエピソードを語っている時間はあまりない。私の昼休みが終わってしまうのもある。
なので、パッと思い出せる限りのニャマトの印象に残っている話をまとめようと思う。

  • 近所の外に置かれている水瓶を覗き込み、メダカを食べようと狙っていた
  • スズメを狙って木に飛びかかったものの失敗していた(のを見られて照れ隠しに転がっていた)
  • 鳩をくわえて誇らしげにうちにやってきた(ら母親は悲鳴をあげ、父親が結局鳩を丁重に埋葬した)
  • 水を用意しているのにわざわざ風呂場の排水溝の蓋に溜まった風呂水を飲む
  • 階段を上がる時にご機嫌だとにゃっにゃっと鳴きながら一段ずつ上がっていく
  • 猫用お布団を買ってあげたのに入ってくれなかった
  • 人間の布団に入る時、布団を持ち上げてやると入っていき中でUターンして顔の向きをわざわざ人間側に揃えてから寝る
  • 草の実を大量に身体につけてうちに来るので毎回一つずつこっちで取ってあげてから布団に入れていた
  • 黄砂の時期や雨の日にずかずかうちに入ろうとするととっ捕まえられ、タオルで拭かれるイベントがあった(若干嫌そうにしていた)

わざわざ言葉にするようなものでもないが、どれもニャマトとのかけがえのない思い出だ。

終わりに

私は今一人暮らしをしていて、二年前から猫を飼い始めた。
保護猫カフェで引き取ったこの子も、黒猫だ。どちらかというと白い毛も多くチャコールグレー気味なので、ちゃこと名付け共に暮らしている。
元々黒猫が大好きだったが、ニャマトと共に過ごしたことで私はもっと黒猫が大好きになった。
また、猫と暮らす幸せを数え切れないほどに教えてもらった。

必ず先に別れがやってくることも分かっていたし、何なら半野良気味のニャマトとの別れは気づいたらうちに来なくなって……といった感じのきっともっと素っ気ないものになると思っていた。
別れももっと早くに来てもおかしくなかったので、思いがけず幸せを多くもらってしまったようなものだ。
最終的にはうちがほぼ終の住処となったようだったが、ニャマトはうちを選んで幸せになってくれたのだろうか。
親から伝え聞いただけの終末の話を人間のエゴで捉えるなら、ニャマトはうちで幸せに暮らしてくれたのだろうと思えた。
本当のところはニャマトに聞かなければ分からないので、もう永遠に叶わないことだ。

▲ 黒猫枕で眠る黒猫

もらったものを返し切れたかは分からない。ニャマトの猫生の正解は何だったのかも分からない。
後悔もあるし、悲しみは途轍もなく大きい。人生の1/3を(物理的には離れながらも)一緒に過ごしてきたのだから。
でも、たまに帰省した時にはいつも私のことを忘れずに出迎えてくれた。その姿はどこか嬉しそうにも見えた。人間のエゴフィルター全開だが。
私は、ニャマトと出会えてとても幸せだった。ずっとずっと、ニャマトのことは忘れないだろう。

もうしばらくの間は思い出や写真を取り出して泣いてしまうが、悲しみよりももらった幸せがいっぱいあるのだ。きっとニャマトのことを楽しく話せる日が来るだろう。